こんにちわ~(╹◡╹)☆
今日は祝日。みなさんはお仕事お休みですか~?
わたしは祝日は関係なく仕事です。
朝電車に座れたのはいいんですが、なんか切ない・・・( ; ; )
今日は今年5月に行われた萩往還について、思い出しながら更新します!
去年の8月。
「萩往還、今年で最後だってよ」
と風のうわさで聞いた。
萩往還といえば、
めっちゃ長いウルトラマラソン!
ただそんなイメージ。笑
詳しくは知らなかったけど、歴史ある大会ということだけは知っていた。
そんな大会が、どういうわけか今年で終わってしまう。
なんとなく「出なきゃ!」
そう思った。
その当時の私のウルトラ歴は
58キロ1回
70キロ1回
100キロ4回
いずれも完走(ギリ時間内)
そして、100キロDNF(80キロ地点でリタイア)
だった。
もちろん100キロ以上の距離に挑戦するのは初めて。
エントリーはかなり激しいクリック合戦で、140キロの部はわずか10分で終了してしまった。
隣で父も一緒にエントリーしていたが、見事惨敗し、悔しがっていた( T_T)\(^-^ )
大会当日までの準備はとくにしなかった。
転職したばかりであまり練習の時間が作れず、月間走行距離も100キロ以下。
こんなんで大丈夫か~?(*´-`)
と不安はありつつも妙な自信があった。
140キロ制限時間は24時間。
100キロを15時間くらいかけて走ったとして、残りの40キロは歩いても大丈夫だろうと考えていた。
大会当日(たしか5月4日)
▼スタート前の様子
▼スタート前のわたし
『絶対に戻ってくるから』
と心に誓った。
『えいえいおー!』
の合図でウェーブスタートする。
最初の50キロはわりと平坦な国道を走るので、
ここで時間を稼ぎたかったわたしは少し速めに走った。
それと往還道(山道)に入るのは真夜中なので、ただでさえ方向音痴のわたしはロストする危険が大いにある。
こういう夜通し走るレースはそれが1番怖い。
なので、少し飛ばしてなるべく集団でいるようにした。
50キロを過ぎてからいよいよ『萩往還道』に入る。
昔ここを偉い人たちが通ったんだなあとか考えたような、考えなかったような、とにかく想像を絶する急斜面だった。
「上り坂はどうせ走れないんだし、歩いて体力回復させるか」
なんて思っていたがとんでもない!((((;゚Д゚)))))))
急斜面すぎて膝に手をつきながらやっとの思いで登る。
しかも雨が降ったからすべるし、砂利やら泥やら石やらでかなり足場も悪い。
急斜面すぎて歩いているのに息があがる。
萩往還道に入ってからはロストするポイントが多いので、事前に地図をしっかり用意しておいた。
▼かなりの力作。何回も間違いやすい箇所などチェックした
それでも結果からいうと少しロストした。
でもすぐに戻の道に戻れたので大したロスタイムはなかった。
往還道に入ったのが深夜0時を回ってからで、
そのあとは明かりひとつないような、目を開けてても閉じてても視界が変わらないような道を走ったり、とにかく不安だった。
「もしかしたらロストしてるかも」
後ろから人が来ないとものすごく不安になった。
こわいよ、って何回も言った。
遭難してるんじゃないかと本当に不安になった。
朝5時半ころになると少しずつ明るくなってきた!
話によると往還道もあと少しで、もうすぐで萩市内に入るとのこと!
市内に入ればしばらく平坦な道が続くので、とにかく早く往還道を抜けたかった。
でも悲劇は突然に。
もうすぐで萩市に入る最後の山道で膝を痛めた。
たぶん足元の悪い下りの階段でやってしまったと思う。
「グキッ」とはいかなかったが、違和感を感じるようになった。
そしてすぐに走れなくなった。
おいおい、まだ半分残ってるんだぞ・・・・
すぐにロキソニンを飲んで、歩いて、回復を待った。
「少しでも走れれば、まだ時間はあるんだから」
そう思って、
歩いて走って、、、やっぱりダメだ‥‥。
を何回繰り返したんだろう?
通り過ぎるランナーたちが「頑張りましょう!」とか「まだ諦めちゃダメですよ!ここにいるのはまだ完走圏内なんですから」とかいろいろ声をかけてくれて嬉しかったけど、どうにもならなくて泣きそうになった。
完走圏内・・・でももう走れないんだよ
だんだん諦めムードが漂ってきた。
萩市内を一周したら帰りはまたあの往還道を通らなきゃいけない。
行きは下りが多かったということは帰りは登り。
それにあの獣道で一歩も動けなくなっても誰も助けに来てくれないだろうし、迷惑がかかる。
90キロ手前で完走を諦めた。
でも悔しいからなんとか100キロを1キロでもいいから越したい!
そう思って歩き続けた。
歩くにはなんの支障もないのが悔しかった。
「もしかしたらいけるかも?」と思って走り出すとやっぱり痛い。情けない。
歩き始めて15キロくらいになると、だんだん歩いているのも辛くなってきた。
「100キロ超えは無理だな」
そう思って、とりあえず96.9キロ地点にあるエイドを自分のゴールにしようと決めた。
最後は歩くのも激痛
膝が曲がらない
本気でハイハイして進もうかと考えるくらい
ここまで頑張ったんだから悔いはない、と思いたくて、だから最後は歩けなくなるまで頑張ろうと思った。
そして激痛に耐えながらなんとか96.9キロ地点に到達!
「ここでリタイアします」
と告げて、わたしの最初で最後の萩往還は終わった。
カレーを食べて収容バスに乗ってスタート地点に戻る
▼五臓六腑に染み渡るカレー。少しスパイシー
膝の痛みはかなり悪化していて、バスの階段から降りられなかったので、
スタッフ2人に支えられながらなんとか降りた。
バスを降りるとすでにゴールしている人が何人かいた。
「あぁ、本当に終わっちゃったんだなあ」としばらくゴールする人をボーっと眺めてた。
なんとなくすぐに帰りたくなくて、しばらく会場にいた。
▼瑠璃光寺
国の重要文化財らしいので写真を撮ってみた
なんとなく後ろ髪が引かれる思いで会場をあとにする。
もうちょっと前半ペースを落として足を残しておけば完走できたかな?とか、あの下り階段をもうちょっと慎重に下りてれば膝を痛めなかったかな?とか、今さら考えても仕方ないことをグルグルと考えていた。
でも、『最後は歩けなくなるまで頑張ったんだから』
そう思うと少し気持ちがラクになった。
マラソンがブームになるずっと昔、平成元年から始まったこの歴史ある大会。
平成が終わる今年で最後。
今回の【平成完踏】のフレーズにはいろいろ考えさせられるものがある。
もう二度とリベンジすることは出来ないけど、走らせてくれてありがとう!絶対この悔しい気持ちは忘れない!
ありがとう、萩往還!
平成完踏おつかれさま!